原爆ドームの一期一会

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もう一つの大切な出来事は僕が2016年、日本にいる時だった。その旅の終わり近く、広島のお好み焼きを無茶食いしたり、大鳥居を見に、渡し船に乗って行ったりした。僕自身には日本の一番重苦しい所を尋ねるつもりだった。それは広島の原爆ドームだ。第二次世界大戦での原爆落下のアメリカの責任を深刻に認識にいるので、その場所の感じを絵で描いて見ようと思ったのだ。しかし、経験は価値あるものだが、確かに色々不安だった。

先ずは、少し予備知識を説明させて貰たい。 9−11の時、マンハッタンで、住んでいた。その悲劇的な事件で死んだ人も、すんでのところで死を免れて助かった友人も、幸運にも仕事に遅れていってギリギリ死を避けた人も知っている。その日以後、アメリカは変わった。特にニューヨックも変わった。僕も変わった。その後、そこに行った事は一度ない。仕事に歩く途中で、そこで時間を取ったり見つめた事は一度ない。一つの例外はまだ煙っている廃虚の前でセルフィーを撮って笑っている観光者だった。いつも腹が立ったが言葉をグッと呑み込んだ。

追悼施設に一度行った、友達が歌った追悼コンサートに出席するためだった。その日暮れ、追悼の暗いピットに見つめている間に、その水がブラックホールに引っ張り込まれているように感じ、泣いた。追悼の上に立ったり、死んだ人の名前の上に座ったり、笑顔で笑って家族の写真を撮ったりしている人に気が付いた。吐き気がしたが、逃げ出した。二度と戻らなかった。

広島の原爆ドームについた時、出来るだけ説明文を読んでみる事にした。原爆のすぐ後、あちこちから片付けに来て、すぐそばで放射線で死んだ学生の事を習った。追悼塔は全部世界平和についてだった、報復ではなかった。「二度繰り返しません」。僕もそう思う。

原爆ドーム 「覚えたい」はちょっと違う。「覚えておきたい」と「忘れたくない」の方がいい。

 

イーゼルを立て置いている間に、9−11メモリアルに行った時と同じように気分が悪くなって来た。ドームの前で笑顔で笑っている写真と撮ったり、死んだ人達の名前の上に座ったりしている家族に気が付いた。敢えて言わなかった。僕の悲劇であるだけでなく、加えて、僕の国の及ぼした悲劇だった。しかし、僕は、同じような恐ろしさを認めて、心が乱れた。

描いている間に、土地の人はいつもと変わらず足を止めて近付き、「素晴らしい」とかお世辞を言ったりした。しかし、黙って見ていた人が一人いた。ささっと、振り返って、「今日は」と言ったが、答えず、じっと見てばかりいた。急に声を上げた。「どうしてここにいるかい?」彼の方を向いたが、僕の事を睨んだ。若くて、僅か17−18歳過ぎなかったが、真面目な表現をした。質問は絵についてではなくて、なぜ僕がここにいるかについてだと思った。その質問を真剣に受けたかったし、本気で答えを返したかった。「僕には、ここにいるとワールド・トレード・センターと同じ感じがするから。」もう少しボキャブラリー持っていなかったが、目を見て誠実に言った。彼はは視線を外して、下をちょっと見て、少し柔らかくなった目で視線を返した。頷いて、「うん。いい。それは分かる」と言って、すぐ歩いて行った。

その人は微笑むことはなかったが、我々の交流から彼が欲していたことを受けたと思った。僕も、短くても大切な、文化的な繋がりを持った日だったと思う。

(v3)


単語リスト

言葉 発音 意味
原爆 げんばく atomic bomb
一期一会 いちごいちえ once in a lifetime experience
広島 ひろしま Hiroshima (city)
お好み焼き おこのみやき okonomiyaki
無茶食う むちゃくう to stuff one’s face
大鳥居 おおとりい large ceremonial gate
重苦しい おもくるしい heavy and painful
尋ねる たずねる to look into, investigate
第二次世界大戦 だいにじせかいたいせん WWII
落下 らっか drop (action)
責任 せきにん responsibility
深刻に しんこくに severely, gravely
認識 にんしき recognition
予備知識 よびちしき background information
悲劇的な ひげきてきな tragic
すんでのところで very nearly
死を免れる しをまぬがれる be rescued from death
幸運にも こううんにも by the grace of good luck
死を避ける しをさける avoid death
煙る けむる to smoke
廃虚 はいきょ ruins
グッと with a gulp, wordlessly
追悼施設 ついとうしせつ memorial site
日暮 ひぐれ sunset
引っ張る ひっぱる to pull down/away
吐く はく to vomit
逃げ出す にげだす to begin to run (unvolitionally)
説明文 せつめいぶん information plaque
片付ける かたづける to clean up
放射線 しょうしゃせん (nuclear) radiation
追悼塔 ついとうとう memorial monument
報復 ほうふく revenge, retribution
繰り返す くりかえす to repeat
敢えて あえて in no way
加えて くわえて on the contrary
及ぶ およぶ to cause
認める みとめる to recognize
心が乱れる こころがみだれる lose composure
土地の人 とちのひと local people
お世辞 おせじ compliments
黙る だまる to be silent
ささっと quickly, briefly
振り返る ふりかえる glance back/over
じっと unmoving, stoically
睨む にらむ to stare
真面目な しんめんもくな with meaningful attention
真剣に しんけんに serious, honest
誠実に せいじつに sincere, faithful
頷く うなずく to nod

 


もう一つの大切な事件出来事は僕2016年、日本にいる時だった。その旅の終わり近く、広島のお好み焼きを詰め込んだり無茶食いしたり、大鳥居を見に渡し船に乗って行ったりした。僕自身には日本の一番重々重苦しい所尋ねるつもりだった。その所は広島の原爆ドームだ。第二次世界大戦での原爆撃をする落下のアメリカの有罪責任を深刻に歴史認識があるにいるので、そのがしている感じを美術で描いて見ようと思いたかっただ。しかし、経験は価値あってもるものだが、確かに(“disturbing on many levels”)色々不安だった。

先ずは、少し予備知識を説明させて貰えない?たい。 マンハッタンで、9−11の時、マンハッタンで、住んでいる事だった。その悲劇災害事件で死んだ人も、すんでのところで無くしてしまった死を免れて助かった友人も、ご利益で幸運にも仕事に遅れていってギリギリ死を避けた人もして知っている。その日以後、アメリカは変わった特にニューヨックも変わった僕も変わった。後でその後、その所に行った事は全然一度ない。仕事に歩く途中で、そこに近づかせられたが待ってで時間を取ったり見つめた事は全然一度ない。一つの以外だけ例外はまだ煙っている廃虚の前セルフィーを撮っていて笑っている観光者だった。いつも腹が立ったが(“bit my tongue”)黙った言葉をグッと呑み込んだ

追悼施設に一度行った、友達が歌った追悼コンサートに出席するためだけだった。その日暮れ、追悼の暗いピットに見つめている間に、その水がブラックホールに引っ張り込まれているみたいなように感じをしながら泣いた。追悼の上に立ったり、死んだ人の名前の上に座ったり、前に笑顔で笑って家族の写真を撮ったりしている人に気が付いて来た危なく吐く所だった吐き気がしたが、逃げ出した。二度戻らなかった。

広島の原爆ドームについた時、出来るだけ(plaque?)説明文を読んでみる事にした。原爆のすぐ後、あちこちから片付けに来て、すぐそば放射線で死んだ学生の事を習った。全部追悼塔は全部世界平和についてだった、報復じゃではなかったんだ。「二度も譲れない繰り返しません」。僕もそう思う。

イーサルゼルを立て置いている間に、9−11追悼メモリアルに行った時と同じように気分が悪くなって来た。ドームの前で笑顔で笑っている写真と撮ったり、死んだ人達の名前の上に座ったりしている家族に気が付いた。黙った。絶対黙った。敢えて言わなかった。僕の苦痛ではない。かてて悲劇であるだけでなく、加えて、僕の国の及した無残悲劇だった。それはそうだというのが分かったがしかし、僕は戦慄の類似同じような恐ろしさを認めて、乱れた。

描いている間に、土地の人はいつもと変わらず足まって調べにめて近付き、「素晴らしい」とかお世辞を言ったりした。しかし、沈黙で黙って見てばかりいた人一人だったいた。ささっと、頷いて振り返って、「今日は」と言ったが、答えなくて目がかけてばかりいたず、じっと見てばかりいた。急に声上げた。「どうしてここにいるかい?」彼に向かっての方を向いたが、僕の目にすぐ事をむのを見つけたんだ。若くて、僅か17−18歳だった過ぎなかったが、真面目な表現をした。質問は絵についてではなくて、なぜ僕が特定なここにいるかについてだと思った。その質問を真に受けたかったので、本気答えを返したかった。「僕には、この近くはここにいるとワールド・トレード・センターと同じ感じですがするから。」もう少し細かい単語がボキャブラリー持っていなかったが、目に合いながらを見て誠実に言った。彼は(broke eye contact)は視線を外して、下ちょっと見て、少し柔らかくなった目で視線を返した。頷いて、「うん。いい。それは分かる」と言って、すぐ歩いて行った。

その人は微笑むことがないがはなかったが、我々の交流から欲しい彼が欲していたことを受けたと思った。僕も、短くても大切な、文化的な繋がりをった日だったと思う。

(v2)


Bomb Dome Encounter

Another important event occurred during my summer 2016 trip to Japan. Near the end of my travels there, between gorging myself on Hiroshima Okonomiyaki and taking the ferry to Miyajima to see Ootori, I also planned a visit to what was the most solemn place in Japan for me personally: the Bomb Dome in Hiroshima. I’m fully aware of my country’s culpability in the atomic bombings during WWII, but I wanted to visit one site for myself and capture something in my art. However, while it was a worthwhile experience, it was certainly a disturbing one to me, on many levels.

First of all, for some background, I live in Manhattan, and lived through 9/11; I knew people that were lost in the disaster, and people that were almost lost, and people that, by luck of the gods, managed to be late that day. That day changed America forever, and NYC in particular, and me in particular as well. After the disaster, I never once visited the site. I had to walk past it to go to work, but I never lingered, never gawked, except at the hordes of tourists that took smiling selfies in front of the smoking ruins. That always made me sick, but I held my tongue.

I only visited the completed memorial once, for a friend’s musical concert held there in honor of the memorial. As I stared into the dark hole of the memorial that night, watching the water fall, as if sucked into a black hole below, I couldn’t help but cry. And when I noticed people sitting on the memorial, with their butts on the names of the dead, and laughing and smiling and taking smiling selfies, I almost vomited, I ran, and I have never returned.

When I arrived at the Bomb Dome in Hiroshima, I read as much of all the plaques as I could. I learned about the students of all ages that came from all around the day after the bombing, to help clean up the disaster, who nearly all died shortly afterwards from latent radiation poisoning. And I learned that the monuments were all one of peace, not retribution. “Never again.” And I could not agree more.

As I set up my easel to paint my picture of the location, I started feeling ill in the same way that I did at the 9/11 memorial. I noticed smiling families taking selfies in front of the Dome, and sitting on memorials with the names of dead people. I dare not comment, because this is not only not my tragedy, but this is additionally a tragedy caused by my country. However, I saw terrible parallels, and I was deeply disturbed.

While painting, the locals dropped by to watch me, and I received the usual bevy of compliments, “subarashii” and such. But one came up to me and watched in complete silence. I turned briefly, like to all the others, with a “konnichi wa”, but he didn’t reply, he just stared at me. Eventually, he spoke up abruptly. “Doushite koko ni iru kai?” (Why are you here?) I turned to him, and he was staring at me pretty intensely. He was young man, maybe 17 or 18, and I got the feeling that he wasn’t asking me about my art, but rather about why I was in this location at all. I felt that I owed him a serious answer, so I thought about it for a second and replied “kono tokoro wa, boku ni wa, world trade center no chikaku to onaji kanji desu kara.” (This place has the same feeling to me as the World Trade Center area.) I didn’t have much more vocabulary to share my feelings beyond that, but I met his eyes when I said it sincerely. He looked to the side for a moment and then turned back, nodded, and said “Unn. Ii. Sore wa wakaru.” (Ok. Good. I get that.) He didn’t smile, but he seemed satisfied, and immediately walked away.

He didn’t smile, but he seemed like he got what he wanted from our interaction, and I feel like I made an important, if brief connection that day.

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