ウーマンリブ〜日本女性権利史

  Social Justice, 日本語

3世紀から9世紀まで、例えば、有名な卑弥呼ひみこのように、日本の女性は女帝と世帯主だった。土地と資産を有したり、好きな人を結婚したり離婚したりすることができた。天照あまてらすという太陽の女神を敬ったりした母系社会だった。

平安時代から鎌倉時代まで、女性は薙刀という武器を持ったり、開拓をしたり、農場と家族を養ったりする武士だった。だが、室町時代には、女性の社会的地位は悪化してきた。その時代からの物語はほとんど男性についてになった。女性の作中人物は悲劇的なヒロインや、貞節な妻や、愛国心を持っている母や、慈悲を乞う者や、男殺しや、戦利品になってしまった。

徳川時代には、男性は手紙だけで妻を離婚できるようになったが、女性から離婚を申し出るのは尼寺に入ること以外、違法だった。

江戸時代後期、儒学者貝原益軒かいばらえっけんは日本女性の社会的役割を決定した「女大学」という本を書いた。「(一三)主婦がまだ若い場合は、みだりに若い男に近づいてはならない」とか「誠」という19条のものは含めていた。

1842年、妊娠中絶は江戸で禁止され、1868年、天皇は日本全国に広げ、そして1907年、罰則はいっそう厳しくなった。

明治時代、1898年の明治民法は「家」という法を定め、女性の権利を認めなかった。そして女性を家長の意思に従わせた。家長はほとんど常に男性であった。

日本の1871年の教育法は全ての生徒に教育を求めたが、女子はまだほとんど生け花や茶道だけを教わり、三年生の後、男子から別させたりした。中学以上に進む女子は少なかった。

1890年、議会は「集会及び結社法」を発行した。女性の政治的な活動と政党に入ることを禁止した。

明治時代の後さえも、結婚は家長の賛成が必要になった。浮気したというだけで、主人は妻を殺すのは合法だった。

原口鶴子つるこはらぐちは日本で、博士を取った初めての女性だった。しかし、日本の大学は与えるのを断ったため、アメリカの大学に行かなければならなかった。

1911年、「青鞜せいとう」という雑誌は平塚ひらつからいちょうや伊藤野枝いとうのえに作文や教育を通して女性の権利を促進するため、設立された。国体はそれを禁止した。

同じ年に、管野須賀子かんのすがこは天皇を暗殺する計画を立てたため、逮捕された。日本の近代史では、初めての女性の政治犯の死刑だった。

その頃、「婦人公論」と「主婦の友」という、妊娠中絶や性の自由や政治や独立ということを扱う月刊誌は発刊された。

1919年、市川房枝いちかわふさえおくむめお平塚ひらつからいちょうやは「新婦人協会」を設立した。

1921年、議会は治安警察法の第5条の改正し、女性に政治集会への参加を許したが、まだ女性は政党に入ったり投票したりするのは禁止されていた。

同じ年に、山川菊栄やまかわきくえは「赤瀾会せきらんかい」という日本で初めての社会主義の女性の協会を設立した。その協会は資本主義が女性を奴隷と娼婦にしている、と論じ、非難した。

1923年の「関東大震災」の後、混乱に乗じた軍隊は「青鞜」の伊藤野枝いとうのえを捕まえて、家族と一緒に使われていない井戸に投げ、殺した。

43の協会は力を合わせ、「東京聯合婦人会とうきょれんごふじんかい」を設立した。その後、「婦人参政権獲得期成同盟会ふじんさんせいけんかくとくきせいどうめい」と「婦選獲得同盟ふせんかくとくどうめい」が生まれた。

1924年、議会は男子参政権法を成立させたが、女性を除外した。

1932年から1945年まで、韓国と中国とフィリピンの女性は日本軍に捕まえられたり誘拐されたりして、慰安婦にさせられた。

第二次世界大戦の後、新しい憲法は起草された。信条、性、教会的身分、出自による差別は違法になった。結婚と離婚は相互と性的区別のないものになった。だが本当にそうだったのだろうか。

1946年、加藤かとうシヅエは日本の初めて議会に選ばれた女性だった。

1948年、日本はほとんどの場合、妊娠中絶を合法化した初めての国の一つになった。

1960年代の後期、アメリカのセコンドウエブフェミニズムが田中美津たなかみつを感動させ、パンフレトを書かせた。それから、彼女は「グループ戦う女達」を設立して、日本の初めての女性の駆け込み寺を作った。

薬剤師の榎美沙子みさこえのきはピルの合法化を支持した。「中ピ連」という抗議団体を設立して、目立つようにピンクのヘルメットを被った。

1970年代、女権運動は「ウーマーンリブ」と呼ばれるようになった。

1979年、国際連合は男女平等の条約を作ったが、日本の議会は1985年まで条約を承認しなかった。1986年、国際連合から警告を受けた。

1986年、日本議会は新しい機会均等の法律を作った。女性の機会が広げられたが、キャリア路線を作ったことは他の問題を起こした。女性は短期で低賃金で幹部の可能性が低い地位であり、男性は長期で高賃金で幹部の可能性が高い地位だった。

1989年、晴野はるのまゆみは日本の初めてのセクハラの訴訟を起こした。1992年、16万円だけをもらった。だが、今でも、セクハラはまだ違法ではない。被害を告訴できるが、人と会社のルールがあるが、罰は全然ないのだ。

1999年になってようやく、ピルは合法になった。他の国より大変遅かった。

その頃、ゴールドマンサックスのキャシー松井まついは「ウーマノミクス」という言葉と作った。それは女性の職業参入を増やしたり、育児ケアの状況を改善するためだ。

1999年、猪野詩織いのしおりはスターカーに殺された1年間後、スターキングは違法になった。2013年、21000のスターキング報告であり、被害者の女性率は90%であり、加害者の男性率は87%だった。その年、イメール・スターキングも違法になった。今でも、日本ではスターキング報告はどの国よりでも早く増えていく。

2002年、日本の議会は DV(ディーブィ・家庭内暴力)を違法にした。

2012年、安倍晋三あべしんぞうは首相になった時、女性の職業参入を増やすための「アベノミクス」という政策を発表した。

2015年、日本の議会は離婚した女性の再婚までの待機日数を300日から100日までに変えた。

2015年、最高裁は夫婦同性の規則を維持したが、議会に新しい立法を作るように促した。フェミニストはまだ夫婦別姓を目指しているが、まだ実現していない。

今日は、一つの調査のよると、仕事に戻ったお母さんの30%はマタハラを経験したことがある。

2015年、政府高官の女性率は3.5%だけだ。

会社員の女性率は40%だが、幹部は9%だけだ。

家父長制をぶっ潰せ!

^ v3.0


単語リスト

言葉 発音 意味
女帝 じょてい empress
世帯主 せたいぬし head of household
女神 めがみ goddess
敬う うやまう revere
母系社会 ぼけいしゃかい matriarchal society
平安時代 へいあんじだい Heian period
鎌倉時代 かまくらじだい Kamakura period
薙刀 なぎなた Naginata spear
開拓する かいたくする pioneer, settle
養う やしなう raise, develop
武士 ぶし warrior
室町時代 むろまちじだい Muromachi period
悲劇的な ひげきてきな tragic
貞節な ていせつな chaste, loyal
愛国心 あいこくしん patriotism
慈悲を乞う じひをこう beg for mercy
男殺し おとこごろし seductress
戦利品 せんりひん spoils of war
徳川時代 とくがわじだい Tokugawa period
申し出る もうしでる to suggest, request
尼寺 あまでら convent, nunnery
江戸時代 えどじだい Edo period
儒学者 じゅがくしゃ Confuscian scholar
みだりに みだりに selfishly
まこと truth
天皇 てんのう emporer
罰則 ばっそく severity of punishment
いっそう いっそう very
明治時代 めいじじだい Meiji period
民法 みんほう civil code
権利 けんり rights (civil)
認める みとめる recognize
従う したがう obey
家長 かちょう head of family (meiji term only)
常に つねに often
生徒 せいと student
求める もとめる wish, want
議会 ぎかい Diet, parliament
及び および and, also
浮気 うわき adultery
政党 せいとう political party
合法 ごうほう legal
博士 はかせ PhD
促進する そくしんする promote
設立する せつりつする create (company, group)
暗殺する あんさつする assassinate
逮捕する たいほする arrest
死刑 しけい execution
妊娠中絶 にんしんちゅうぜつ abortion
独立 どくりつ independence
扱う あつかう to treat, deal with, handle
月刊誌 げっかんし monthly magazine
発刊する はっかんする publish
治安警察法 じあんけいさつほう public safety police code
改正 かいせい revise, amend
集会 しゅうかい assembly
許す ゆるす allow, permit
投票する とうひょうする vote
社会主義 しゃかいしゅぎ socialism
資本主義 しほんしゅぎ capitalism
奴隷 どれい slave(ry)
娼婦 しょうふ prostitute(ion)
論じる ろんじる argue (that X is true)
非難する ひなんする condemn
混乱 こんらん chaos
に乗じる にじょうじる to take advantage of
井戸 いど (water) well
成立させる せいりつさせる to allow to pass (a law)
除外する じょがいする exclude
誘拐する ゆうかいする kidnap
慰安婦 いあんふ “comfort women”
第二次世界大戦 だいにじせかいたいせん WWII
憲法 けんぽう constitution
起草する きそうする draft
信条 しんじょう belief
教会的身分 きょうかいてきみぶん creed
出自 しゅつじ family origin
相互 そうご mutual(ity)
性的区別ない せいてきくべつない gender neutral
後期 こうき late (period)
駆け込み寺 かけこみでら shelter
薬剤師 やくざいし pharmacist
ピル ピル the pill, contraception
支持する しじする support
抗議 こうぎ protest
団体 だんたい organization
目立つ めたつ to raise awareness/vision
被る かぶる wear (head)
国際連合 こくさいれんごう United Nations
平等 びょうどう equality
条約 じょうやく treaty
承認する しょうにんする recognize
警告 けいこく warning, advice, admonition
機会均等 きかいきんとう equal opportunity
法律 ほうりつ law
短期 たんき short period
低賃金 ていちんぎん low pay
幹部 かんぶ management (upper)
長期 ちょうき long period
高賃金 こうちんぎん high pay
訴訟 そしょう litigation, lawsuit
告訴 こくそ accuse
ばつ consequences
職業参入 しょくぎょうさんにゅう labor participation
育児 いくじ childcare
改善する かいぜんする benefit, improve
被害者 ひがいしゃ victim
加害者 かがいしゃ assailant
政策 せいさく political strategy
再婚 さいこん second marriage, remarry
待機日数 たいきにっすう waiting period
最高裁 さいこうさい Supreme Court
維持する いじする preserve, maintain
促す うながす urge
夫婦別姓 ふうふべっせい separate surnames
家父長制 かふちょうせい Patriarchy
ぶっ潰す ぶっつぶす smash!

 


v2.0

2百年代から8百年代まで、日本の女の人は天皇と家族の世帯主だった。例えば、有名な「(ひみこ)卑弥呼」だった。地と資産を有したり、好きにすればいい人を結婚したり離婚したりすることができた。天照と言う太陽の女神様を祈ったりした母系性の社会だった。

平安時代から鎌倉時代まで、女の人は薙刀という武器を持ったり、開拓者したり、農場と家族を開始したりする武士だった。だが、村待ち時代の時、女の人の社会の地位は悪化してきた。その時代からの物語は今ほとんど男の人向きになった。女の人の作中人物は悲惨的な英雄や、中なる妻や、愛国心を持っている母や、男殺しや、戦利品になってしまった。

徳川時代までには、手紙だけで妻を離婚できるようになったけど、女の人は、修道院に入ること以外、離婚するのは違法になった。

江戸時代後期、儒教的な(かいばらえっけん)貝原益軒は日本の女の人の社会役割を決定した「女大学」という本を書いた。「(一三)主婦がまだ若い場合は、みだりに若い男に近づいてはならない」とか「誠」という19条のものは含めていた。

1842年、妊娠中絶は江戸で禁止されて、1868年、天皇は日本の全部に広げて、それから1907年、罰則は厳しくした。

明治時代の時、1898年の明治民法は「家」という明法を一定して、女の人の権利を認めなかった。?subject to the will of

日本の1871年の教育民法は”。。。”といっても、女の人はまだほとんど生け花や茶道だけを教わったり、三年祭の後、男の人から別させたりした。中学を越した女の人は少なくなかった。

1890年、議会院は「珠海及び性社保」を発行した。女の人の政治的な活動と政党に入ることを禁止になった。

明治時代の後も、結婚の全部は世帯主の賛成が必要になった。浮気だけのせいで、主人は妻を殺すのは保的だった。

(つるこはらぐち)原口鶴子は日本の中で、博士を受けるハジメテの女の人だった。そうと言っても、日本の大学の全部は与えるのを断ったから、アメリカの大学に行ったのは必要だった。

1911年、「青鞜」という雑誌は(ひらつか)平塚らいちょう(いとうのえ)伊藤野枝に作文や教育を通して女性の権利を支持するため、設立された。国体はそれを禁止した。

同時に、(かんのすがこ)管野須賀子は天皇を暗殺するつもりだったから、逮捕された。日本の近代歴史には、初めての女性の政治犯の死刑だった。

その頃、「婦人公論」と「主婦の友」という、妊娠中絶や性の自由や政治や独立ということを含めていた月刊は設立された。

それから、1919年、(いちかわふさえ)市川房枝おくむめお(ひらつか)平塚らいちょうは「新婦人協会」を設立した。

1921年、議会院は治安警察法の第5条の判決を覆して、女の人に政治会議を出席させたけど、まだ女性は政党に入ったり投票したりするのは禁止だった。

1921年、(やまかわきくえ)山川菊栄は「赤瀾会」という日本の初めての社会主義の協会を設立した。その協会は資本主義が女の人を奴隷と娼婦に変えるのを論じたから、責めた。

「関東大震災」という1923年の地震の後、混乱に軍隊は「青鞜」の(いとうのえ)伊藤野枝を捕まえて、

家族と一緒に?abandonned well ?の井に投げて、みんなを殺した。

43の協会は力を合わせて、(とうきょれんごふじんかい)「東京聯合婦人会」を設立した。その後、(ふじんさんせいけんかくとくきせいどうめい)「婦人参政権獲得期成同盟会」と(ふせんかくとくどうめい)「 婦選獲得同盟」は生まれた。

1924年、議会院は男性参政権を?pass a law?したけど、敢えて女性を省いた。

1932年から1945年まで、韓国と中国とフィリピンからの女の人は日本軍隊に捕まえられたり引き抜かれたりして、暴力的に慰安婦として勤められさせた。

第二次世界大戦の後、新しい憲法は立案させた。性差別と宗教差別と家柄差別と階級差別は違法になった。結婚と離婚は相互と性的区別のないものになった。だが本当にそうだったなのか。

1946年、(かとうしづえ) 加藤 シヅエは日本の初めての議会院に選ばれた女の人だった。

1948年、日本はほとんどの場合、妊娠中絶を?legalize?保的にする初めての?become one of?数国の一つになった。

1960年代の後期、アメリカの???フェミニズムに(たなかみつ)田中美津はパンフレトを書くのを動かされた。それから、彼女は「グルップ戦う女達」を設立して、日本の初めての?women’s shelter?を確立した。

薬剤師の(みさこえのき)榎美沙子はピルの合法化を支持した。「中ピ連」という抗議協会を設立して、ピンクのヘルメットを被って、?publicity stunt ?をした。

1970年代、女権運動は「ウーマーンリブ」と呼ばれてきた。

1979年、国際連合はXXXを?adopted/passed ?したけど、日本の議会院は1985年まで条約にサインしなかった。1986年、国際連合から赤点を受けた。

1986年、日本議会は新しい機会均等の法律を作った。女性の機会が広げられたが、キャリア線を作ったのは他の問題を起こした。女性は短期で低賃金で幹部の可能性が低い地位であり、男性は長期で高賃金で幹部の可能性が高い地位だった。

1989年、(まゆみはるの)?mayumi haruno kanji?は日本の初めてのセクハラの訴訟を?bring a lawsuit?した。1999年、16万円だけをもらった。だが、今まで、セクハラはまだ違法なではない。被害を訴訟できるけど、誰も?go to prison?されない。人と会社のルールがあるけど、罰は全然ないのだ。

was not until as late as ?1999年、ピルは保的になった。他の国よりすごく遅かった。

ゴルダマンサックスのキャシー・松井は「ウーマノミクス」を?coined?した。それは女性経営参加を増やしたり、育児?improve?の状況をよくしたり、するためだ。

1999年、(いのしおり)猪野詩織はスターカーに殺された1年間後、スターキングは違法になった。2013年、21000のスターキング報告であり、被害者の女性率は90%であり、加害者の男性率は87%だった。その年、イメール・スターキングも違法になった。今でも、日本ではスターキング報告はどの国よりでも早く増えていく。

2002年、日本議会院は DV(ディーブィ・家庭内暴力)を違法にした。

2012年、(しんぞうあべ) 安倍晋三は首相になった時、女性経営参加を増やすための「アベノミクス」という政策を発表した。

2015年、日本議会院は離婚した所の女の人の結婚し直す前を待つべきの時期を300日から100日まで変えた。civil code was amendedchanged from X to Y

2015年、日本最高裁は夫婦の姓が同様なべきという?upheld a ruling?したけど、議会院に新しい立法を作るのを支持した。フェミニストはまだ夫婦別姓を目指しているけど、まだ起こっていない。

Today 今日

一つの意向調査のよると、30%の仕事に戻ったお母さんはマタハラを経験したことがある。

2015年、政治に位の高い地位の女性率は3.5%だけだ。

女の人は40%の会社員でも、9%の幹部だけだ。

家父長制を潰せ!

^ v2.0


v1.0

In 2nd through 8th centuries Japan, women were empresses such as Himiko 卑弥呼, heads of household, could own land and property, and could marry or divorce who they like. It was largely a matriarchal society that revered the goddess of the sun Amaterasu 天照.

Women were often bushi ぶし in the Heian 平安時代 and Kamakura 鎌倉時代 periods, often fighting battles with naginata, and pioneering land to build farms and families. But, the status of women began to decline in the Muromachi period 室町時代, and tales from those times today center mostly on men, relegating women to the cliche roles of tragic heroine, loyal wife, stalwart mother, beggar of mercy, seductress, or a spoil of war.

In the Tokugawa 徳川時代 period, men could divorce a wife merely by stating so in a letter, but women could not legally divorce a man unless they joined a convent.

In the late Edo period 江戸時代, the confuscianist author Kaibara Ekken wrote “Onna Daigaku”, which dictated expectations for Japanese women. It included 19 “truths” such as “if a woman is young, don’t go near any young men”.

In 1842, abortion was banned in Edo, in 1868 the Emporer extended it to all of Japan, and in 1907 the penalties became more severe.

During the Meiji period 明治時代, the Meiji Civil Code of 1898 defined the ie 家 code that denied women legal rights and subjected them to the will of household heads, who were almost always men.

The 1871 education code did require all students be educated, but women were still mostly taught flower arranging and tea ceremonies, and were segregated from men after the third grade. Few continued beyond middle school.

In 1890, the Diet issues the shukai oyobi seishaho 珠海及び性社保, banning women from political activity or joining political parties.

Even after the Meiji period, any marriage had to be approved by the head of household. And it was legal for a husband to murder a wife for infidelity.

Tsuruko Haraguchi 原口鶴子 was the first woman in Japan to earn a PhD, but she had to go to the US, because no school in Japan would allow her to receive it.

Bluestocking (青鞜 Seitō) was founded by Raichō Hiratsuka (平塚 らいちょう), Noe Itō (伊藤 野枝), and three other women (Yasumochi Yoshiko, Mozume Kazuko, Kiuchi Teiko) in 1911 to promote equal rights of women through literature and education. It was banned by the government 国体.

In the same year, Kanno Sugako (管野須賀子, 1881–1911), was the first woman political prisoner to be executed in Japanese modern history, for planning to assassinate the emperor.

Serial magazines Fujin Koron 婦人公論 and Shufu No Tomo also started around the same time, covering topics like abortion, sexuality, politics, and independence.

In 1919, Ichikawa Fusae and Oku Mumeo, Raicho Hiratsuka created the New Woman Association: Shin Fujin Kyokai.

In 1921, the Diet overruled Article 5 of the Police Security Act and allowed women to attend political meetings, but still not join parties or vote.

Yamakawa Kikue started the Red Wave Society Sekirankai, the first socialist women’s association in 1921. They condemned capitalism, arguing that ti turned women into slaves and prostitutes.

After the great earthquake of 1923, Noe Ito and her family were arrested by the military that were taking advantage of the chaos, and were thrown into an abandoned well and executed.

Representatives from 43 of these organizations joined forces to become the Tokyo Federation of Women’s Organizations (Tokyo Rengo Fujinkai). Later, it spawned the League for the Realization of Women’s Suffrage (Fujin Sanseiken Kakutoku Kisei Domei), later the Women’s Suffrage League (Fusen Kakutoku Domei).

In 1924, the Diet passed the Men’s Suffrage Law but left out women.

From 1932 to 1945 women from Korea, China, and the Philippines were lured or kidnapped by the Japanese army and forced into prostitution as “comfort women” ianfu (慰安婦).

After the end of WWII, a new constitution was drafted for Japan. Discrimination by creed, sex, social status, or family origin were outlawed. Marriage and divorce was made mutual and gender neutral. Supposedly.

Katō Shidzue (加藤 シヅエ) was the first woman to be elected to the Diet, in 1946

In 1948, Japan became one of the first nations to legalize abortion in most cases.

In the late 1960’s, second-wave feminism in the US inspired Mitsu Tanaka to write pamphlets. She founded the Fighting Women’s Group, and established the first women’s center and first women’s shelter in Japan.

Misako Enoki was a pharmacist that pushed for the legalization of the birth control pill. She formed a protest group called Chupiren, who wore pink motorcycle helmets in publicity stunts.

In the 1970’s, the women’s rights movement became known as oomanribu.

The UN adopted the Convention on the Elimination of All Forms of Discrimination Against Women in 1979, but Japan’s Diet did not ratify it until 1985. It received failing marks in 1986.

In 1986, Japan implemented the Ordinance for the Enforcement of the Act on Ensuring Equal Opportunities for and Treatment of Men and Women in Employment (雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保 等に関する法律施行規則), which, among other things, created career tracks in companies that exist today. While it intended to open up opportunities for women in companies that were not there before, which it did, these tracks tend to force women into short term positions with no management potential and low pay, and men into long-term positions with management possibility and higher pay.

1989 Mayumi Haruno brought the first ever sexual harassment suit in Japan. In 1992 she was awarded only approximately 16000 Yen (less than $100). Sexual harassment is still, to this day, not illegal. You can sue for damages but it is not illegal. There are rules for people and companies, but there are absolutely no consequences.

It was not until as late as 1999 that the birth control pill was legalized in Japan, much later than other countries.

Kathy Matsui of Goldman Sachs coined “Womenomics”, a set of policies intended to increase female labor participation in Japan, and improve childcare provisions.

Anti-stalking laws were passed in 2000 after a university student Shiori Ino (猪野 詩織) was murdered in 1999 by her stalker. There were 21000 reports of stalking in 2013, with 90% women victims and 87% male stalkers. In 2013 the law was extended to include email stalking. To this day, stalking reports are still growing faster in Japan than any other country.

In 2002, the Japanese government passed a law making domestic violence illegal.

In 2012, when Shinzō Abe (安倍晋三 Abe Shinzō) became Prime Minister, he announced a policy now named “Abenomics”, which includes increasing female labor participation.

In 2015, Japan’s civil code was amended to reduce the number of days a woman must wait to get remarried after a divorce, from 300 days to 100 days.

The Japanese Supreme Court upheld a ruling in 2015 that spouses must have the same surname, but encouraged the legislature to pass new legislation. Feminist groups are still pushing for the right to separate surnames 夫婦別姓, but it has not been enacted.

Today 今日

In one poll, 30% of mothers who returned to work reported being victims of “maternity harassment”, or “matahara”.

In 2015, only 3.5% of senior government roles were filled by women.

Women only make up 9% of corporate management positions, despite being about 40% of the employee base.

Smash the patriarchy!

^ v1.0

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